東京高等裁判所 昭和53年(う)1988号 判決 1982年2月03日
裁判所書記官
石井正男
本籍
静岡県清水市辻三丁目五一二番地
住居
同市辻三丁目三番四号
会社役員
尾関義雄
大正一五年一月一九日生
右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五三年八月一日静岡地方裁判所が言い渡した判決に対し、弁護人から控訴の申立があったので、当裁判所は、検察官隈井光出席のうえ審理をし、次のとおり判決する。
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人今村嗣夫、同木村庸五連名の控訴趣意書及び「準備書名」と題する書面の第一に、右控訴趣意に対する答弁は、検察官河野博名義の答弁書にそれぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。
控訴趣意中所得税逋脱の犯意の事実誤認を主張する論旨について
所論は、要するに、被告人の昭和四八年分及び同四九年分の各所得税逋脱の事実につき、原判決が被告人の同税逋脱の犯意を肯認したのは、事実を誤認したものである、というのである。
そこで、検討すると、原判決挙示の関係各証拠を総合すると、原判示のとおり、被告人の昭和四八年分の実際所得金額は七、六九一万円余りであるのに、被告人が申告した所得金額は右実際所得金額の一五パーセントにも満たない一、一〇一万円余りであり、また、被告人の昭和四九年分の実際所得金額は一億二、六八八万円余りであるのに、被告人が申告した所得金額は右実際所得金額の二五パーセントにも満たない三、〇八九万円余りであって、被告人の申告した右各年分の所得金額が実際所得金額に比し著しく少額であること、被告人は、昭和四八年分の所得税の確定申告をするにあたり、所得税確定申告書及びこれに添付する所得税青色申告決算書の作成等の事務を依頼していた堀川ふみ江から、昭和四八年分の所得金額が六、二〇〇万円くらいになる旨の報告を受けた際、同人に対し、所得金額が前記申告所得金額程度の金額になるように確定申告書及び決算書類を書き改めるよう指示しており、また、昭和四九年分の所得税の確定申告にあたっても、右堀川から、同年分の所得金額が一億四、七四七万九、六二三円である旨及びその算定根拠を記載した同年分所得税青色申告決算書の原稿を見せられた際、これによらず、右堀川に対し、所得金額が前記申告所得金額程度の金額となるよう右決算書類の書換えを指示していることがそれぞれ認められる(以上の各事実は被告人もおおむねこれを認めて争わないところである)。また、収税官吏の被告人に対する各質問てん末書、被告人の検察官に対する各供述調書並びに被告人の原審及び当審公判廷における各供述によれば、被告人は、名古屋国税局による調査が開始された昭和五〇年九月から調査が収束段階にはいった翌五一年二月頃までの間は、所得税逋脱の意思で、堀川ふみ江に対し前認定のような指示に及んだことを自認していたのであり、被告人が、確定申告において所得を圧縮する具体的方法までも右堀川に指示したことはないと供述し、所得税逋脱の犯意までも争うようになったのは、同年二月二日、同国税局係官から、それまでの調査の結果判明した本件で審判の対象となっている各年分及びその前年分の所得金額及び所得税額並びに重加算税並びに県民税及び市民税等の地方税の各概数額について知らされた時以降のことであり、被告人はこの時を境に従前の供述を徐々に翻し始め、やがて明確に所得税逋脱の犯意を否認するに至ったものであることが明らかである。そこで、右各事実及び被告人の供述経過並びに後記のとおりこれらに対する被告人の弁解が到底措信し難いものであることを合わせて考えると、被告人が昭和四八年分及び同四九年分の各所得税の確定申告を行うにあたり、自己に各所得税確定申告書記載の所得金額を上回る所得があることを認識しながら、右上回る部分にかかる所得税を免れる意思で各虚偽過少の所得税の確定申告に及んだ事実を優に認めることができる。
所論は、被告人においては、所得税確定申告書及び決算書類の作成等の事務を依頼していた堀川ふみ江が税理士の資格を持たない者であるところから、同人の算出した所得金額に信を措くことができず、被告人独自の方法によって昭和四八年分及び同四九年分の各所得金額を推計したうえ、右堀川に対し被告人の推計に沿った申告書類を作成するよう指示したものであって、脱税の意思で右指示をしたものではなく、また、申告所得金額と実際所得金額との開差が大きくなったのは、被告人が当時の異常な経済変動に伴う被告人の事業の業績の変化を的確に認識することができなかったことによるものであって、右開差の存在も被告人の犯意の存在を示すものではない旨主張し、これにそう被告人の原審公判廷における供述を援用する。
しかしながら、関係証拠によれば、被告人は、昭和四七年七月頃から本件で名古屋国税局の強制調査が開始された直後の昭和五〇年一〇月頃まで三年余りの間、引き続き堀川ふみ江に総勘定元帳の記帳、決算書類及び所得税確定申告書の作成等の事務を依頼していたのであり、被告人は堀川から決算結果について報告を受けた際、昭和四九年分については被告人の予想よりも所得金額が多かったため、決算の再点検を指示しているものの、同年分のとき及び昭和四八年分のときには、それ以上に決算の内容について堀川に問い質したり、帳簿、伝票等にあたって決算の誤りの有無について検討を加えたりしないまま、一方的に確定申告書に記載すべき所得金額の概数を示し、これに合わせて決算書類及び所得税確定申告書を作成するよう依頼していることがそれぞれ認められる。また、被告人の供述関係を検討すると、被告人が堀川に決算書類等の書き直しを指示した理由として、所論のように明確に堀川の経理能力に対する不信を挙げるようになったのは、原審公判段階以降であって、所得税逋脱の犯意を認めていた国税局による調査の段階では、そのような不信感は述べていなかったことも認められる。そこで、これらの点から判断すると、被告人が堀川の経理処理能力について所論のような不信感を抱いていたという点は極めて疑わしいというべきである。また、被告人の供述する所得推計の方法は極めて大雑把なものであるうえ、推計に用いた数値・金額の採用の仕方も恣意的なものであって、堀川が被告人方の会計伝票や各種補助簿を整理して記帳した総勘定元帳に基づいて行った決算結果を排し、それに替わりうるような客観性を具備していないことが明らかである。そして、後記のような被告人の経歴、国税局係官等との応答状況からすると、被告人は、経理事務等についてかなりの理解力を有していることがうかがわれるのであって、被告人が所論のように堀川の決算結果よりも自己の言う金額の方が真実の所得金額に合致すると考えていたとは到底考えられない。また、前叙のとおり、被告人は国税局による調査の段階では本件各年分の所得税確定申告をするにあたり、所得税逋脱の意思で虚偽過少の申告に及んだ旨を自供していたのであり、しかも、被告人は右自供を翻し、所得税逋脱の犯意を否認するようになったのちにも、このような供述変更の理由について十分納得のいくような説明をしていないのである。してみれば、所得税逋脱の犯意を否認する被告人の原審及び当審公判廷における供述は、この点に徴しても措信し難いものといわなければならない。更に、関係証拠によれば、被告人は、昭和一五年三月に静岡高等簿記学校を卒業し、以後父の経営する建築材料販売業を手伝い、昭和三九年に父死亡後は、右営業を引き継ぐとともに、新たに生コンクリート製造販売業を開始して今日に至っていることが認められ、また、調査の段階から当審公判段階に至るまでの間における被告人の供述内容、殊に収税官吏との応答内容に徴すると、被告人が簿記会計について相当な知識を有することがうかがわれるとともに、被告人が自己の事業における売上や仕入れ、生コンクリートの製造原価、貸倒れの発生状況等の経理上の数額や帳簿類の記帳状況について良く把握していることが認められる。そこで、これらの点に徴すると、経理関係については全く無知であるとする被告人の原審及び当審公判廷における供述は到底措信することができない。そのほか、原審証人堀川ふみ江は、本件各年分の所得税確定申告書の作成にあたり、被告人から、申告すべき所得金額の概数のみならず、申告書に添付する決算書類上の金額の操作方法についてまで指示された旨証言しているのである。このようにみてくると、前記所論にそう被告人の原審及び当審公判廷における供述は到底措信することができず、したがって、これを援用する右所論も採用し難いものといわなければならない。
また、所論は、被告人が昭和四八年分の所得税確定申告書を提出後、みずから申し出て税務署員の調査を受けた事実を指摘し、これは、被告人に所得税逋脱の犯意がなかったことの重要な徴憑である旨主張する。
しかしながら、被告人は、名古屋国税局による調査の段階では、自己の所論指摘のような行動は、先にした申告に対する税務署側の出方を観測するためのものであった旨供述していること、被告人の申し出後、清水税務署員によってなされた調査は極めて不徹底なもので、被告人が先に同税務署長に提出した申告書及び添付書類中においては、約一、八〇〇万円の売上の圧縮、約二、四九六万円の仕入れの水増し計上がしてあったのに、全然それに対する指摘がなされなかった程度のものであったこと等に徴すると、右所論指摘の事実を被告人に所得税逋脱の犯意がなかったことの根拠とする見方には到底左袒することができない。
更に、所論は、被告人においては、所得税逋脱の原因となるような不正の行為を一切していないとして、これもまた被告人に所得税逋脱の犯意がなかったことの証左である旨主張するけれども、虚偽過少の所得金額等を記載した本件各年分の各所得税確定申告書及びこれらに添付された各決算書類が、被告人の指示により所得税逋脱の意思で作成、提出されたものであることは、これまで検討してきたところから明らかである。したがって、たとい被告人の行った個々の架空売上の計上や簿外仕入れ等のうちに所得税の逋脱と因果関係のある不正の行為にはあたらないとみられるものがあったとしても、そのことは何ら被告人の所得税逋脱の犯意認定の妨げとなるものではない。
以上のとおり、被告人の所得税逋脱の犯意を肯認した原判決の認定は正当であって、原判決に所論のような事実の誤認があるとは認められないから、右論旨は理由がない。
控訴趣意中偽りその他不正の行為の事実誤認を主張する論旨について
所論は、要するに、虚偽過少の所得金額等を記載した本件各年分の各所得税確定申告書及び添付書類の作成、提出を含めて、被告人は一切所得税逋脱の原因となるような偽りその他不正の行為をしていないのに、原判決が不正の行為の存在を肯認したのは、事実を誤認したものである、というのである。
そこで、検討すると、原判決は、虚偽過少の所得金額及び所得税額を記載した所得税確定申告書並びに売上の圧縮や架空仕入れの計上、各年末における売掛金やたな卸資産の過少計上、各年末における買掛金や未払金の過大計上等により所得金額を過少に計算した所得税青色申告決算書の作成、提出をもって本件逋脱所得金額及び逋脱所得税額と因果関係のある不正の行為と認定しているものと解される。ところで、被告人が清水税務署長に提出した虚偽過少の所得金額及び所得税額を記載した本件各年分の各所得税確定申告書及び添付書類が所得税の逋脱を企図した被告人の意思に基づき作成、提出されたものであることは先に判示したとおりである。そして、所得税逋脱の意思で虚偽過少の所得金額等を記載した本件各所得税確定申告書等を作成、提出する行為が、本件各逋脱所得金額及び逋脱所得税額とそれぞれ因果関係のある不正の行為にあたることは明らかである。してみれば、所得税確定申告書の作成、提出前の段階における所論指摘のような行為が、所得税逋脱の意思をもってなされた不正の行為にあたるか否かについて検討するまでもなく、原判決のした不正の行為の認定は正当であるから、右論旨は理由がない。
控訴趣意書第二の一の主張について
所論は、要するに、所得税法二三八条二項は、免れた所得税の額が五〇〇万円をこえる逋脱犯について、「情状により」その免れた所得税額に相当する金額以下の罰金を科することができる旨定めているけれども、右「情状により」という要件は不明確であって、このように不明確な要件を有する同条項は、憲法三一条に違反し無効であるのに、同条項を適用した原判決は、法令の適用を誤ったものである、というのである。
しかしながら、所得税法二三八条二項は、免れた所得税の額が五〇〇万円をこえる同税逋脱犯については、これに対する罰金を、同条一項所定の罰金によらず、五〇〇万円をこえその免れた所得税の額に相当する金額以下とすることができる旨を定めたものであって、同条二項は法定刑の幅を定めた規定にほかならず、所論のような刑の加重事由を定めた規定であるとは解されない。そして、所得税逋脱犯に対する罰金が同条の一、二項に分けて規定されている以上、いずれの項所定の罰金によるかについては、個々の事件ごとに全犯情を考慮して決するよりほかないのであって、所論の問題とする「情状により」なる文言は、この当然の趣旨を表現しているに過ぎない。してみれば、この「情状により」なる同条項の適用要件が不明確である旨の所論の批難が当を得ないものであることは明らかである。以上のとおり、所得税法二三八条二項には、所論のような憲法違反の瑕疵はなく、したがって、原判決には所論のような法令適用の誤りは存しない。右論旨は理由がない。
控訴趣意書の第二の二の主張について
所論は、要するに、本件は資産の隠匿、虚偽帳簿の作成等の不正行為を伴わない極めて軽微な逋脱事犯であるのに、検察官がこれを起訴したのは、公訴権を濫用したものであるから、これを受理し実体判決をした原判決には不法に公訴を受理した違法がある、というのである。
しかしながら、後記のとおり本件は決して所論のいうような犯情軽微な事案ではなく、本件公訴の提起が公訴権の濫用にあたるとは認められないから、右所論は失当である。
控訴趣意書の第二の三の主張について
所論は、要するに、被告人には所得税法二三八条二項に規定するような「情状」は存しないのに、原判決が同「情状」の存在を肯定し、同条項を適用したのは法令の適用を誤ったものである、というのである。
しかしながら、本件各所為が免れた所得税の額において五〇〇万円をこえる事案であることはいうまでもなく、そして、後記のとおり、本件は昭和五六年法律第五四号による改正前の所得税法二三八条一項に定める罰金額の範囲内において処断するのが相当な事案であるとは認められないから、原判決が同条二項を適用したのは正当であり、右論旨は理由がない。
控訴趣意書の第二の四について
所論は、要するに、被告人は本件各年分にかかる青色申告承認が取消されるとは全く予想していなかったのであるから、いわゆる青色申告承認取消益を逋脱所得金額算定の基礎とすることは許されないのに、原判決がこれを行ったのは、所得税法二三八条の解釈適用を誤ったものである、というのである。
しかしながら、関係証拠によれば、被告人の本件各年分における帳簿書類の記載等の仕方が、所得税法一五〇条一項三号所定の青色申告承認の取消事由である帳簿書類の記載事項全体についてその真実性を疑わしめるようなものであったこと及び被告人がそれを十分認識していたことがそれぞれ認められる。そして、被告人の検察官に対する昭和五一年一二月六日付供述調書によれば、被告人は、帳簿書類への記入を怠ったり、虚偽記入をしたりすると、青色申告承認を取消されることがあること及び青色申告承認を取消された場合には、青色申告の際受けていた税負担を軽くする特典が取消されることを知っていたことがそれぞれ認められる。してみれば、原判決が被告人の本件各年分の逋脱所得金額の計算にあたり、いわゆる青色申告承認取消益にあたる金額を収入金額に加算し、青色申告承認がないものとして計算した所得金額をその基礎としたのは正当であって、原判決には所論のような誤りは存しない(なお、最高裁判所昭和四九年九月二〇日第二小法廷判決・刑集二八巻六号二九一頁参照)から、右論旨は理由がない。
控訴趣意書の第三の主張について
所論は、要するに、原判決が本件に所得税法二三八条二項を適用するにあたり、同条項適用の要件である「情状」にあたる事実につき何ら判示していないのは、いわゆる理由不備の違法を犯したものである、というのである。
しかしながら、先に説示したように、所得税法二三八条二項の「情状により」という文言には所論のような特別な意味はなく、また、裁判所が同条項を適用する場合に右「情状」について判示しなければならないとする法令上その他の根拠も全く見出すことができない。したがって、原判決が同条項を適用するにあたり所論のような判示をしなかったことには何ら非違のかどはなく、右所論は失当である。
控訴趣意書の第四について
所論は、要するに、被告人を懲役一年六月(三年間執行猶予)及び罰金三、〇〇〇万円(一日五万円の換刑処分)に処した原判決の量刑が不当に重い、というのである。
しかしながら、本件は、虚偽過少申告により二年分で一億九〇〇万円余りもの所得税を逋脱した事案であって、所得申告割合も昭和四八年分が一五パーセント弱、同四九年分が二五パーセント弱にとどまっており、被告人の所得税逋脱の意思も決して所論のような不明確なものではなかったこと等をも合わせて考えると、犯情は決して軽いとはいえない。してみれば、被告人は帳簿類はかなり正確に記帳しており、昭和四九年分については、所得税確定申告書に合わせてこれらを書き改めるようなこともしていないこと、修正申告をして所得税本税を完納したこと等被告人のために酌むべき諸事情を十分に斟酌しても、原判決の量刑が重過ぎて不当であるとは認められないから、右論旨も理由がない。
よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 海老原震一 裁判官 杉山英巳 裁判官 浜井一夫)
昭和五三年(う)第一九八八号
控訴趣意書
所得税法違反 尾関義雄
右の被告人に対する頭書被告事件につき、昭和五三年八月一日静岡地方裁判所刑事第二部が言い渡した判決に対し、弁護人から申し立てた控訴の理由は、左記のとおりである。
昭和五三年一一月二〇日
弁護人 今村嗣夫
弁護人 木村康五
東京高等裁判所
第一刑事部 御中
記
原審裁判所は、被告人に対する所得税法二三八条一項、二項、一二〇条一項三号違反の公訴事実につき、「被告人を懲役一年六月及び罰金三、〇〇〇万円に処する。右罰金を完納することができないときは、金五万円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。この裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。」との判決を言い渡したが、右判決は、重大な事実誤認をおかしたばかりでなく、法令の解釈、適用を誤ったもので、これらの誤りはいずれも判決に影響を及ぼすことが明らかであるうえ、仮に被告人が有罪であるとしてもその量刑は、著しく重きに失し不当であるので、到底破棄を免れないものと思料する。
第一 明らかに判決に影響を及ぼす事実誤認
一、原判決の租税ほ脱の故意の認定は事実誤認にもとづくものである。
原判決は、被告人が「自己の所得税を免れようと企て」た事実を認定しているが、次の各事実に照らし原判決の右認定は事実誤認にもとづくものである。
1 個人事業主の青色申告の実態と被告人のほ脱の故意の認定
(一) 個人事業主の間には、所得税の申告に当り、いわゆる白色申告をなすものと被告人のような青色申告をなすものとがある。納税義務者の中、税法に定める帳簿書類を備え付け、一定期間保存し、取引を正確に記録している者は、税務署長の承認を得て、青色申告者となることができ、青色申告によるときは課税所得および納税額について白色申告の場合より軽減されるなどの特典が与えられている(所得税法一四三条以下)。
ところで徴税側にすれば、帳簿書類の備付記帳義務のない白色申告者よりも帳簿記録にもとづく課税資料の捕捉・収集、つまり徴税に便宜な青色申告者が増加することが望ましいことは自明である。そこで全国各地の所轄税務署は、白色申告者に対し、青色申告をすることによって受けられる税法上の特典を教示し、青色申告承認の手続をなすよう奨励し、また中小企業経営者の間に青色申告を普及することを目的とする青色申告会の育成を図っていることは一般に顕著な事実である。
このような状況の下で増加してきた青色申告者、とりわけ企業体としての組織が貧弱で確たる経理担当部門ももちえず、ワンマン経営のため早朝より長時間労働を余儀なくされるため常時経理監査をなす時間的余裕もなく、またその能力も充分でない個人事業主の間に、青色申告者としての充分な資質を欠き、また青色申告と白色申告との税務行政上の取扱の差等に無理解な者を輩出するのは自然の成行である。ちなみに青色申告者は特典(特に個人事業の場合には家族の「労働報酬」が専従者控除という形で認められることが大きな魅力であるとされている)を受ける代りに、厳正な記帳の結果にもとづく所得計算による申告をなしうるよう常時記帳に注意を払う法的義務を負担しているのであって、推計による申告をなすことは許されていない。白色申告の場合には、記帳が不完全であるとか、原始書類が散逸しているときなど、税務職員の行う所得標準率表による推計課税や業種別の統計による前年比所得増の割合などにもとづく行政指導によって算出した税額を納付させるという税務行政上の取扱いがなされている。しかし青色申告の場合にはそのような扱いはなされていないのである。白色申告と青色申告との間にはこのような取扱いの相違があるのにこれを認識しないままに前記事情による青色申告奨励の風潮の下で、いわば青色申告の資質を欠く或いは青色申告制度に無理解な青色申告者を生じているのである。
(二) 被告人は亡父から受継した生コンクリート製造販売業等を営む個人事業主であり、その事業所得の申告は青色申告をなしてきたものであるが、本件記録を精査すると青色申告についての理解及び資質を欠く者であるといわざるをえない。被告人は本件公訴事実第一及び第二の昭和四八年度及び昭和四九年度の各所得税確定申告にかかる事業所得の算出に当り、帳簿にもとづく堀川ふみ江作成の決算書が実状と異なると実感しこれによらず、昭和四八年度分については売上をもととしてその五%(被告人が思料した業界水準)を純利益=所得と推計し、また昭和四九年度分については前年比所得二割増を所得と推計し、これらによって各申告所得を算出しているのである(被告人の各供述調書)。先にも触れたように、被告人が白色申告者であれば、決算書上の所得が実状に合致しないと思料し、しかも正確な所得実額を把握するためのすべての計数を明確になしえないのであれば、或は右の如き合理的推計方法により算出した所得を申告することも(その結果の当否は別として)その申告方法自体を不正不当と断ずることはできないであろう。かかる推計による申告をなし「右推計による所得金額なら税務署の心証も悪くなく所得金額として認めてもらえると思った」「帳簿類を改ざんしようというようなことまでは考えませんでした」(乙第三一号証、昭和五一年一二月三日付被告人の検面調書)という被告人の意識はまさに白色申告者の意識そのものである。被告人が若し青色申告者は白色申告者と異り、推計による申告はそれが合理的なものでも許されず、申告にかかる所得算定根拠をすべて帳簿及び伝票等の会計書類によって明らかにする義務があることを真に理解していたならば、常時、会計監査に注意を払い申告間際にかかる推計に及ぶことはなかったであろうと思料する。被告人の事業規模に照らし、依頼税理士の死亡後、非税理士である堀川ふみ江に依存していた被告人は青色申告をなすだけの資質を欠いていたといわなければならない。被告人は青色申告の意味を理解しているような供述もしているが、右の如き被告人の態度をみるとそれ程の理解はなく自らが青色申告者であることについて甘い考えでいたという外はない。
(三) 青色申告者である被告人の本件各所得税の申告方法は右の点で非難されなければならず、また後述のとおり被告人の指示によるものではないとしても、堀川ふみ江が記帳した被告人の帳簿書類の一部に事実と相異する記載があり該帳簿書類の記載事項の全体についてその真実性を疑うに足りる相当の理由がある以上、これによって青色申告の承認を取消されることは已むを得ないことと思料する。しかしながら右の如く非難される事実があったからといって被告人に本件ほ脱の故意があったと認定するのは早計である。
2 被告人の推計の合理性と右推計額と調査実額との差異が高額となった原因
(一)(1) 被告人は公訴事実第一の昭和四八年度分の所得税確定申告にかかる事業所得の実額の推計方法について次のように供述しているのであって被告人としては一応合理的な推計をなしているのである(原審第五回公判における供述調書)。
「大体六億八、〇〇〇万(堀川算出の売上。正確には六億八、一〇〇万六、九〇一円、甲第四二の二〇参照)から架空の売上げが約一、〇〇〇万ありまして、その架空の売上げに対する仕入れが当然ありますから、それを一、〇〇〇万見まして、二、〇〇〇万引きますと六億六、〇〇〇万位だと思いますので、純利益が五%として五%掛けますと三、三〇〇万になります」
右被告人の所得実額の推計過程で架空の売上げに対する仕入れを一、〇〇〇万と見たのは不合理であり被告人も認めているようにこれは被告人の勘違いといわなければならない。右架空売上げが存したことは検察官も認めているところである(正確には九五二万円。冒頭陳述書添付表「ほ脱所得の内容(自四八・一・一至四八・一二・三一)」参照)。また純利益を売上の五%とみた点も著しく不合理な数字ではない。何故なら被告人の前年、四七年度分の国税庁の査定結果による売上四億六、四九〇万七、三五三円と所得(純利益)三、〇三二万四、七〇三円との比率は六・五二%であり(原審記録乙第一二ないし一四号証外に基づく山内努作成「四七、四八、四九年損益計算比較表」参照)、業界水準も五%前後といわれていたからである。
被告人はまた他方で、前年、昭和四七年度の所得額を基として昭和四八年度の所得を経済成長率に見合うものと考えられる二〇%増と推計したが、その結果も右売上を基とする推計の結果とほぼ一致した。即ち被告人の申告にかかる貸倒損失金等控除後の昭和四七年度所得金額は二、一〇〇万円であり(正確には二、一四一万三、五九五円。乙第一二、被告人作成の上申書参照)、これに控除済みの貸倒金等六〇〇万か七〇〇万を加算した二、七〇〇万ないし二、八〇〇万の二〇%増は三、二四〇万ないし三、三六〇万となる(同供述調書)からである。
(2) 被告人は右推計所得金額三、三〇〇万円からこの年度に特別に発生した損失として、年度末のオイルショックによる中部建設の倒産に伴う貸倒金一、六〇〇万円の外細かい貸倒金四〇〇万円及びこの年度に支出した簿外交際費二五〇万円の総合計二、二五〇万円を差引いた一、〇五〇万円を所得実額に近似した額として推計したのである(同供述調書)。
右の内簿外の接待交際費の存在自体は検察官も認めるところである(正確には三〇〇万円。冒陳別紙同表参照)。また中部建設に対する損失の存在それ自体も検察官の認めるところである(正確には一、六一六万八、八〇九円。なお、これは税務会計上の債権債務の確定主義に反し同年度の貸倒金として取扱うことは否認されたに過ぎない。翌年度は認められている。同別紙四表参照)。その余の貸倒もオイルショックという異常事態の下で充分予想しうるところであった(堀川作成の帳簿上は静北建設、ハカマタエントツヤ、川島敏明、酒井組、平松、西山、平井組増田、岡田左官等合計五一万三、二六八円のみ計上している。―昭五〇・一二・一一付被告人作成の上申書乙第一三参照)。
(3) 被告人は、堀川が算出した申告所得額が実状に合わないと思料したことから、かねて知己の間柄でもある清水税務署の天野徳治統括官の意見を聞いたうえ、前記白色申告者が行なうような推計による確定申告をなしたのである(昭和四九年二月一六日付申告書、甲一九)。しかしながら被告人はもとより右所得金額は「概算で利益を出したものである」から所得実額より「少ないか、或いは多い場合もある」と考えていた(昭和五一年一二月三日付被告人の検面調書)。
しかして被告人は右申告の当否についての判断を求めるため、昭和四九年三月一五日の納期以前の同月初め頃右天野の命令により(鶴見、内田証言)、被告人方に赴いた鶴見信夫及び内田晴己に対し右申告書、元帳、売上帳、補助簿、伝票類等を示したところ(堀川証言、被告本人の供述。内田証人は「元帳を見て「積立金」処理が違っていた」旨証言しているが「積立金」は元帳には記載されておらず仕入帳に記載されているので同人が元帳のみしか見なかったように証言しているのは誤りである。)、同人らは幾日もかかって(堀川証言、被告本人の供述)調査したうえ、右申告に対する修正申告書の下書きを鉛筆書きで作成し堀川に交付し(堀川証言)、堀川はこれにもとづいて作成した修正申告書を同税務署に提出し(甲四二の三三)、被告人の同年度の申告を終了したものである。
当の鶴見及び内田は被告人方に赴いたのは天野の命令によることは認めながらも、それは一回限りであり、時間も午前一〇時から正午頃までであり、いわゆる概況調査に過ぎないとか修正申告を指示した覚えはないとか、たまたま時間が空いたので訪問したに過ぎないとか―両名でたくみに口裏を合わせ虚偽の証言をしている。両名の尋問が日を異にして行われたことに留意すべきである。鶴見証人は申告についての調査をしたのではないことと修正申告を指示したことはないこととを説明するため次のように証言している。即ち「通常私たちが調査をやってもしその場で誤りが見つかったならば、その場で修正申告をしていただくか、又は翌日くらいに私のところへ提出するのが普通だと思われます」。ところが堀川が筆記したと思われる検察官提出の請求番号四二の三七(表)の修正申告書の下書の数字と同内容の同四二の三六(表)の修正申告書の下書の数字とは明らかに字体が異なり、しかも鉛筆書きしてある。また堀川証人が税務署の人が鉛筆で書いてくれたと指示する同四二の一八の損益計算書(昭和四九年二月一六日付前記被告人の申告書の控)の「修正後」欄の数字(抹消箇所については抹消前の数字)とはこれまた堀川が筆記した「修正前」欄の数字とは字体を異にし、更に同四二の一九の貸借対照表の「事業主貸」、「事業主借」欄及び左右の「合計」欄に見られる訂正数字もその余の堀川が筆記した数字の字体とは明らかに異なる。これら堀川が筆記した数字以外の数字は税務署の人即ち堀川証言の「おもになった人」つまり「鶴見さん」が筆記したものであって、鶴見は調査結果にもとづき「積立金」処理の誤りを見つけ、まさにその場で「修正申告」書の下書を鉛筆で作成し交付していることはまぎれもない事実である。
右の一事を以ってしても鶴見、内田証言は偽証の疑いがある(同証人らは被告人方へ「記憶ですけど、一度しかないと思います」「そのため(概況調査)に行ったと思います」とかその外にも断言を避けことさら注意深く証言していることは、右疑いを深める)。
(4) 被告人は天野統括官に納税相談をなし、その後間もなく被告人方を訪れた同人の部下である二名の調査官に申告書及び帳簿書類をすべて開示し、同調査官らは日数をかけてこれを閲覧し、その結果修正申告を指示し、被告人はこれに従って修正申告をなしたのであって、右経過から被告人は前記推計による所得金額が承認されたものと受取ったのである(被告人の原審公判廷における供述)。白色申告者であればともかく青色申告者について推計による申告を承認する税務行政上の取扱はないのであって、右のように考えた被告人の意識はまさに白色申告者の意識そのものであるといわなければならない。被告人は当該年度に限らず暦年の申告をこのような態度でなしてきたことを大蔵事務官に対して供述しているが、青色申告の当否は正確に記帳された帳簿・伝票類と決算書とが合致しているか否かによってのみ判断されるのであって、推計の当否によって申告が承認されたり否認されたりすることはあり得ないことを被告人は理解していないのである。若しこの点を理解していたならば談合しうる売上先または仕入先と打合せすべての帳簿書類の記載を申告書の決算書類の記載と矛盾することのないように常日頃から操作していたであろう。堀川は後に指摘するように被告人の推計所得の申告額に一致するように決算書類と十二枚の仕訳伝票のみを訂正しているのであるが、青色申告者であれば帳簿の調査により右の如き程度の操作では税務職員の追及を受けることは見易い道理である。被告人が指示した推計所得金額に合わせて堀川が作成した申告書の内容を看過していた被告人には青色申告者の意識が欠如していたとみる外ない。
(5) 公訴事実第二の昭和四九年度の申告に当っても、被告人は堀川の算定した所得金額が実状に合わないと思料したことから、税務署によって是認されたと認識していた前年の推計所得金額を基としてその二割増という推計による申告を繰り返して行っているのである。即ち「前年昭和四八年の申告所得金額は約一、二〇〇万円(正確には一、一〇一万四、〇九八円)、これに前記中部建設工業に対する貸倒損となった売上高一、六〇〇万円を加えた(繰戻した)二、八〇〇万円位が前年度の事業所得と考え、その二割増の三、三六〇万円が今年の利益となるので、それから今年発生した貸倒損四〇〇万位を引くと三、〇〇〇万円位になる」と推計したのである(昭和五一年一二月三日付被告人の検面調書)。堀川作成の申告書の所得額は三、〇八九万四、四三四円である(昭和五〇年三月一五日付申告書、甲第二〇の二頁)。
右の推計過程の中四〇〇万円の山崎建設に対する貸倒金が存在したことは事実である(正確には四一〇万四、三四〇円―昭和五〇年一二月一一日付被告人作成の上申書、乙第一四。なお同年度の貸倒金は協伸工業外二五二万七、九〇〇円を合わせると六六三万一、二〇〇円となる)。被告人は法廷では前年の貸倒金・簿外交際費控除前の推計所得三、三〇〇万の二割増から当年の右貸倒金六六〇万位を控除した旨答えているが、これは弁護人の誘導・誤導尋問により混乱したものと思料する。次に「経済指数や同業者の申告状況を勘案して出した」(昭和五一年三月三日付被告人の大蔵事務官に対する供述調書、問七、乙第九)所得の伸び率を二割と被告人が推計したこともあながち不正不当な推計と断ずることはできない。
以上のとおり公訴事実第一及び第二の各年度における被告人の申告所得額の算出根拠となった推計は被告人としては合理的にこれをなしたものであって、右各所為は青色申告者の行為としてはやはり非難されなければならないが、これをほ脱の故意の徴憑とみるのは早計である。
(二) 被告人の推計額と調査実額との差異が高額となった原因について
公訴事実第一及び二の各所得税申告について、被告人としては右に詳説したとおり一応合理的な推計を行なったのであるが、右各申告額と国税庁による各年度の所得実額の調査結果との差額が著しく高額となったことは事実である。その原因について以下考察する。
(1) 先ず指摘したいことは当該年度である昭和四八年及び四九年は日本経済のみならず世界経済にとって類例のない変動の時期であったということである。いうまでもなくそれは昭和四八年末のオイルショックである。この経済変動の影響は業種間に浮沈をもたらしたことは一般に顕著な事実であるが、被告人自営の業種である生コン販売業についてみると「セメントの仕入単価は殆ど変動しなかったが売上単価は四八年上期でm3五、〇〇〇~六、〇〇〇円位、四八年のオイルショック後同年末まで七、〇〇〇円位、四九年は七、五〇〇~七、六〇〇円が平均となった」のであり(昭和五〇年九月一二日付被告人の大蔵事務官に対する供述調書五四八丁)、被告人の事業について、国税庁の最終調査結果による資料をもととして算出した昭和四八年度の荒利益(売上総利益)は二六・〇八前年比一四一であり、更に昭和四九年度は三二・三九前年比一六一という被告人の予想を遥かに越えた異常な伸び率を示している(前記山内努作成比較表参照)。
然るに被告人は昭和四六年の組合資料にもとづき荒利益一割位(同供述調書五四七丁)純利益は売上の五%と考えて漫然と昭和四八年度及び四九年度の所得推計を行っていたのである。
(2) 被告人はまた自己の事業の体質が他の同業者に比べて極めて優良企業であることも看過していた。即ち他の同業者と異なり被告人は自己所有の土地建物において自己資金により事業経営をしているうえ、昭和四八年度の売上は前年昭和四七年比一四八と大巾に伸び、昭和四九年度の売上も前年比一三〇%の伸び率を示しているのに、売上に対する経費合計の比率は昭和四七年は二一・〇九%、四八年は一五・五七%と減少し四九年も一七・三六%に止っているのであって、当該各年度程度の売上額が被告人の事業体にとって最も効率的に利益を享受しうることを示しているのである。事実右各年度の売上に対する所得の割合をみると四七年度は六・五二%であり前述のとおり被告人の予想に近いが、四八年は倍増近い一二・四六%、四九年は実に一五・八五%となり被告人の予想を遥かに越えている(同表参照)。
然るに被告人はこれに気付かず漫然と昭和四八年度及び四九年度の所得の推計を売上に対する所得割合五%として行っていたのである。
(3) 被告人は、長年にわたり税務申告を依頼していた税理士堀川勘次郎が昭和四七年七月死亡後依頼するに至った非税理士堀川ふみ江を信用することができずその算出した該各年度の所得金額が異常に高額で実情に合わないと実感し、該推計を行い、本申告を行うに至ったものであるが、被告人の右のような実感は、被告人が自己の事業の業績の飛躍的な変化率を感受するだけの能力をもち合せなかったことに帰因するという外はない。
被告人の本件各申告所得額が著しく過少となった原因は、右に計数を以って明らかにしたとおり、オイルショックによる異常な経済変動に伴う被告人の事業体の業績変化率が、被告人の予想を著しく越えていたことにあるのであって、本件各過少申告の額が著しいことの一事を以って被告人のほ脱の故意を認定し、或は被告人の反社会的性格を重大視するのは誤りである。
3 原判決の本件ほ脱の故意の認定が事実誤認であることは次項に列記する各事実に照らしてみても明白である。
二、原判決の本件「偽りその他不正の行為」に関する認定は事実誤認にもとづくものである。
1 所得税確定申告書の作成方法及び元帳・仕訳伝票の一部の書き直しに関する被告人の指示について
被告人は堀川に対し前記各推計の結果を告げ昭和四八年度所得は一、三〇〇万円以内(堀川証言)、昭和四九年度所得は三、〇〇〇万円位(堀川証言)で申告するよう指示したことは事実である。しかしながら被告人は堀川に対し、同人が行った元帳及び伝票の一部の書き直しを指示したことはなく、また堀川作成の確定申告書・決算書の内容も、これを十分知らなかったものである。このことは次の各事実に照らし明らかである。
(一) 堀川作成の確定申告書・決算書の「控」は堀川方で押収されていること(甲四二の「決算書控等一綴」の表紙に添付してある差押票参照)。堀川は右「控」を被告人に交付した筈だと証言しているが、右「控」は堀川方に存在したのであり、被告人方には確定申告書・決算書類は一切存在していなかったのである。
(二) 元帳は堀川が自宅に保管し、仕訳伝票は堀川が元帳に記帳する便宜上、自分の判断で作成していたこと(堀川証言、被告人の供述)。
(三) 被告人にはこのような、いわゆる細かい数字合せをする能力はなく、堀川が元帳や仕訳伝票の一部まで書き直したことは全く知らなかったこと(被告人の供述)。堀川はすべて被告人の主導的な指示があったように証言している。しかし例えば仕訳伝票について昭和四八年度分については被告人から直した方がいいといわれたから直したが、四九年度については被告人から指示がなかったから直さなかった旨証言するなど、経理に堪能な堀川がそのような受動的な態度をとることは不自然である。堀川証言はことさらに、詳細な点にわたるまで被告人の指示に従ったことを印象づけようとしていることが窺われ信憑性を欠く。堀川証人は本件各申告書類の作成に関与したことから被告人のほ脱を主導した共犯の責任を問われる虞れを感じていたためと思料する。
(四) 被告人は原審公判廷で自ら堀川に対し質問している。若し該帳簿書類の書き直しを自ら指示していたのであれば憶面もなく堀川に対し質問し自ら墓穴を掘るようなことは差控えたであろう。
(五) 昭和四九年度申告についていえば、被告人としては、堀川の計算が信用できなかったので、推計による所得申告を行い、その当否を帳簿書類によって判断して貰うことを税務職員に期待していたのであり、右申告額の算出根拠を正当化するため帳簿伝票の記載を書き直すことまでは考えていなかったこと(昭和五一年一二月六日付被告人の検面調書)。その他原審記録を精査するも被告人が仮に右堀川の申告書の作成を容認していたとしても、過少申告の意図を以って右不正の行為を行ったものではない。
2 本件ほ脱所得(冒頭陳述書別表三及び四)に関する不正行為について
(一) 被告人は前記のとおり昭和四八年度の帳簿上の売上六億八、〇〇〇万円を基として所得推計をしたのであった。ところが昭和四八年度の所得税確定申告書上は売上圧縮が一、八〇〇万円、四九年度は一〇、五〇〇万円となっている。これは堀川において適当に記載したものであり(被告人の供述、乙第一五上申書)、これについて堀川は四八年は各月一五〇万円(甲四二の二〇)、四九年は一月ないし一一月まで各月九〇万円、一二月は六〇万円宛(甲四二の五)を圧縮し該決算書に列記したものである。若し被告人が青色申告者としてほ脱の意図を以って右各売上圧縮をなそうというのであれば、帳簿上の売上を基として所得を推計することなどせずに、売上先を特定して堀川に指示してこれを行わせ、売上帳の書き直しをも同人に指示していたであろう。被告人はあくまで帳簿上の売上を基として所得推計を行っていたのであり、右圧縮記載に堀川独自の所為であり、仮に被告人が堀川の右発案を首肯し軽視していたとしても、これを以って被告人のほ脱の故意の徴憑とし或はその反社会的性格を重大視するのは誤りである。もっとも青色申告者としての被告人のこのような態度はやはり非難されなければならないことは既に述べた。
付言すれば、四八年度に取引先からの要請により行った架空売上が九五二万円あったことは検察官も認めるところであり(冒頭陳述書別表三)、その限度で同年度売上圧縮は実質上の根拠のないものではない。被告人は右架空売上を一、〇〇〇万と考えこれに見合う仕入一、〇〇〇万をも帳簿上の売上額から控除すべきであると勘違いをしたことは既に述べた。仮に被告人が堀川に四八年度売上を右の理由で合計二、〇〇〇万円圧縮するようにいったとしても、右圧縮は一部実質上の根拠があり、一部勘違いによるものであり、いずれにせよ過少申告の企図を以って行ったものでないことは明らかである。
(二) 仕入水増額が昭和四八年度の所得税確定申告書上は二、四九六万円、四九年度は一、二〇〇万円であることは事実であるが、これも堀川において適当に記載したものであり(被告人の供述、乙第二二上申書)、堀川は四八年度仕入については各月二〇八万円(甲第四二の二〇)増額し、四九年度仕入については同年三月に鶴見らから指摘のあった積立金相当額を仕入帳の各月の仕入金額から控除する正当な修正を行なったうえで右一、二〇〇万円を一二月分仕入に加算する処理(甲四二の五及び仕入帳参照)をしている。若し被告人が青色申告者としてほ脱の意図を以って右各仕入水増をなそうというのであれば、仕入先を特定したうえ堀川に指示してこれを行わせ、仕入帳の書き直しをも同人に指示していたであろう。右各記載は堀川独自の所為であり、仮に被告人が堀川の右発案を首肯していたとしても、これを軽視していた被告人には前記白色申告者の意識しかなく、これを以って被告人のほ脱の故意の徴憑とし、或はその反社会的性格を重大視するのは誤りである。
(三) 被告人が取引先関係者の要請により架空売上を計上したことは事実であるが、架空売上そのものは帳簿の信憑性を失わせる事由とはなっても、過少申告の故意の徴憑とはなりえないものであることは多言を要しない。
(四) 三菱鉱業セメントに対する積立金支払の仕入処理、同積立金利息等の雑収入除外についても被告人はこれを過少申告の意図をもってことさらに行ったものではない。右積立金は仕入先である相手方からセメント代金と共に請求されてきており、その額も少額であったところから代金と共に支払われていたものであり(被告人の原審公判廷の供述)、担当事務員もこれを仕入帳に記帳していたのである。
右仕入帳の該当欄には「保証金引当積立金」と明記はしてある(甲三六仕入帳一五四丁、NO一〇〇昭和四八年一月三一日欄ないし一二月二七日欄)。堀川は右仕入帳に基づいて元帳の仕入勘定を記帳していたが、その際毎月の集計欄のみを転記していたので、積立金の存在に気付かず、積立金処理をしなかったまでであり、これが単純過少申告であることは明白である。右積立金に付帯する利息の発生についてもこれを看過したことは無理からぬことといわなければならない。鶴見調査官も四八年度の積立金利息についてまで修正申告を指示しなかったこともあって堀川は四九年度の同利息処理を失念していたものである(堀川証言、被告人の供述)。かかる申告過程における過失により、申告額が過少になった場合にはほ脱の故意はないというべきである。(昭四〇・四・二東京地判、直接国税関係刑事判決要旨集六七八頁)。
(五) 昭和四八年度の中部建設に対する貸倒金の処理については先にも触れたとおり同年末に手形不渡となったのでこれを計上したものであるが、税務会計上の債権債務確定主義の原則により翌期に処理すべきものとなったに過ぎない。このようないわば一般納税者の誤り易い経理処理を捕えて、被告人のほ脱の故意の徴憑とし、或いはこれを不正行為と評価するのは甚しく不当である。益金性又は非損金性の不知は、非刑罰法規の不知として犯意の成立は阻却されるべきであり、また税法規定の複雑さに照らしてもそう解すべきである(法曹時報二二巻一一号七九頁堀田論文)。
(六) 架空仕入の計上及び架空売上に伴う受取手数料除外は、被告人としては簿外交際費・手数料(業界の風習で相手方から領収書の交付が受けられず、その氏名も明らかにすべきではないので公表交際費として処理できなかったもの。本来店主借とすべき資金―被告人が事業資金とは区別していた個人資金―から支出された)或いはオイルショック時の骨材の簿外仕入(いずれも前同様店主借とすべき資金によるもの)を精算する意図で計上したものであり、これによって帳簿書類の記載の信憑性は著しく害されるが、それは決して過少申告の目的を以って行なわれたものでないことは明らかである(被告人の供述。右簿外交際費、簿外仕入の支出があったことは検察官も認めている)。このことは被告人の公表外の収支計算の調査結果に照らしてみても充分に首肯しうるところである。(税理士山内努作成の「公表外の収支計算表」―乙第三〇被告人の上申書参照)。ほ脱犯における不正の行為の典型的事例の一つである「資産の隠匿」は、右収支計算表によっても存しないのであってこの点を看過した原判決の誤りは重大である。
既に明らかなように被告人としては、前記の事情の下で合理的な推計により所得実額に近似すると考える所得を算出しその申告をなしたものである。被告人は青色申告者として常時正確な記帳をなしその結果に基づいて申告をなさなかったことを反省はしているが(被告人の各供述調書)、決して不正行為によるほ脱の結果の発生を予見していたものでもなく、また被告人が右結果の発生を認容していたことを認めるに足る確証は全くないのである。
原判決には右に詳説した諸点について重大な事実誤認があり、その誤りはいずれも判決に影響を及ぼすことが明らかであるので、到底破棄を免れないものと思料する。
第二 明らかに判決に影響を及ぼす法令の適用の誤りについて
一、所得税法第二三八条一項は、ほ脱犯の罰金刑を五百万円以下と定めているが、同条二項は免れた所得税の額が五百万円をこえるほ脱犯について、「情状により」その免れた所得税額に相当する金額の罰金を科することができる旨定めている。
刑の減軽事由或いは再度の執行猶予など行為者にとって有利なものについては格別、このような行為者に重大な不利益をおよぼす大幅な刑の加重を「情状により」というような明確さを欠く要件にかからしめている同条同項は、憲法三一条の適正手続の保障に違反し無効といわなければならない。
被告人が仮に有罪としても、同条一項を適用すべきところ右無効な条項を適用し被告人に罰金三、〇〇〇万を言渡した原判決には明らかに判決に影響を及ぼす法令の適用の誤りがある。
二、被告人は既述のとおり徴税側の青色申告奨励の風潮の下で青色申告者としての自覚と資質を欠き、法定帳簿にもとづかず白色申告者に見られるような推計による所得申告をなしたものである。被告人の右所為が仮にほ脱犯の構成要件に形式的に該当するとしても、本件は、ほ脱犯の不正な行為の典型事例である「資産の隠匿」を伴わず、また帳簿、伝票等の一部書き直しも被告人の指示によるものでないうえ、改ざんと評する程の操作ではなく加筆したことが一見して明らかな方法で鉛筆書きしてあるに過ぎない本件の如き事案は、公訴提起により刑事罰を求めなければならない程の重大な反規範性を帯有する事案では決してない。検察官が、堀川のいわゆる記載ミスに過ぎない三菱鉱業セメントに対する積立金の仕入処理やその利息の雑収入除外や非刑罰法規の不知による貸倒準備金の計上などをも挙示していることは、枯木も山の賑わいとしようとしている感を受けるのであって、本件事案の反規範性は極めて稀薄といわなければならない。
このような事案については青色申告の承認を取り消しその特典を奪ったうえ正当な税額、延滞税および加算税の徴収などによる必要最少限度の制裁を科するのは格別、ほ脱犯として刑事罰を科さなければならない合理的理由はないのである。白色申告者であれば不問に付されることの多い所為について青色申告者であるがためにこのような苛酷な制裁にさらされるとすればそれは法の下の平等を侵すことともなり青色申告制度に対する国民の理解も得られない事態を招来しかねない。
検察官は本件の如き事案についてまで何故に公訴を提起したのであろうか。思うにそれは一面被告人の申告所得額が調査額と余りにも開きがあったことの一事にのみ目を奪われたことにもよろうが、何よりも近年における日本経済の長期にわたる不況により財政需要を賄うべき税収が減少しているこの時期において政策的な厳罰主義により徴税の実を挙げようとしているものであることは明白である。徴税が順調に行われている時期であったならば起訴されるまでに至らなかったであろう事案に対する本件起訴は明らかに政策的起訴であって本来経済政策、財政政策によって解決すべきことがらを刑事上の制裁によらしめようとするものである。かかる恣意的起訴は公訴権の濫用として違法であるところこれを看過した原判決には明らかに判決に影響を及ぼす法令の適用の誤りがある。
三、被告人が仮に有罪としても、被告人の本件各所為に関する情状は、後記第四量刑不当の項記載の各事実に照らし、所得税法第二三八条二項の刑の加重事由である「情状」には該当せず、同条一項のみを適用すべきところ、右二項を適用し被告人に罰金三、〇〇〇万円を宣告した原判決には明らかに判決に影響を及ぼす法令の適用の誤りがある。
四、被告人は昭和四八年度所得税確定申告について税務職員から調査を受け、その結果修正申告を指示されたことから、同年度の申告は税務当局から承認されたものと受取っていたものであり、また被告人は四九年度も前年と同様の推計方法による所得税申告を行ったので、同申告も税務当局から承認されるものと考えていたのであり、後日、右各申告を原因として青色申告承認の取消を受けることは全く予見していなかったものである。
被告人が仮に有罪としても、被告人に対する青色申告承認取消により遡及的に否認されることとなった右各年度の専従者給与、貸倒引当金繰戻、繰入、価格変動準備金繰入、繰戻不動産所得の各金額をほ脱税額の算定の基礎とした原判決は、所得税法二三八条の解釈適用を誤ったものである。この点でも原判決には明らかに判決に影響を及ぼす法令の適用の誤りがある。
第三 原判決は所得税法第二三八条二項適用の要件である「情状」にあたる事実につき何ら判示することなく同条同項を適用したものであるから判決に理由を附さなかったものとして到底破棄を免れない。
所得税法第二三八条一項はほ脱犯の罰金刑を五百万円以下と定めているが、同条二項は免れた所得税の額が五百万円を超えるほ脱犯について「情状により」その免れた所得税の額に相当する金額の罰金を科することができる旨定めている。
刑の減軽事由あるいは再度の執行猶予など行為者にとって有利な場合については格別、右のような行為者に重大な不利益をおよぼす大巾な刑の加重要件たる「情状」にあたる事実については、裁判所に理由中においてこれを挙示する義務を負担しており、これを挙示していない場合には裁判の真意が明確に把握し難く許しがたい瑕疵があり、判決に理由が附されていないものとしてかかる判決は到底破棄を免れないものと思料する。
思うに判決に理由を附することが要求されるのは、一には裁判所の恣意を防止する保障的機能を営ませるためであり(罪刑法定主義と証拠裁判主義を判決自体において保障するもの)、一には当事者が上訴し、上訴裁判所が原判決を審判するための資料を提供するにあると解されるのであって、右の制度趣旨に照らし行為者に重大な不利益を与える所得税法第二三八条二項適用の要件である「情状」にあたる事実については、裁判所はこれを理由中に判示すべき義務があるといわざるをえない。
第四 量刑不当
被告人が有罪であるとしても被告人に懲役刑とともに罰金三、〇〇〇万円の併科を言渡した原判決の刑の量定は次の各事実に照らし著しく重きに失し不当であるので、到底破棄を免れないものと思料する。思うに被告人の本件所為に関する情状は所得税法二三八条二項の「情状」に該当せず同法一項所定の罰金刑を科すべきものと思料する。
1 著しく高額な本件ほ脱の結果は被告人がことさらな悪意を以って計画的に発生せしめたものではないこと。即ち被告人は、昭和四七年七月、一〇年以前からの依頼税理士であった堀川勘次郎が死亡したことから、同人から生前頼まれていたこともあって、その娘堀川ふみ江に本件各年度の税務会計を依頼するようになったものの(添付戸籍謄本。被告人の供述調書)ふみ江には税理士資格がなかったこと及び昭和四八年末のオイルショックによる経済変動を機とする生コン販売単価の上昇及びこの時期における被告人の企業の体質が業界において比類のない優良企業であったことの相乗効果によって、該各年度の被告人の事業の業績変化率が被告人の予想を遥かに越えていたのに、被告人にはこれを正確に把握する能力が欠けていたこと(前記第一、一、2.(二))から、被告人は堀川ふみ江作成の帳簿にもとづく算出所得金額が実状に合致せず信用できないと実感した。かくて被告人は自己の推計にもとづく事業所得金額を以って本件各所得税確定申告に及んだもので、その犯情を重くみることは酷であるというべきである。
2 被告人は青色申告者であるのに法定帳簿書類にもとづかず自己の推計による所得の申告に及んだものであり、この点はやはり非難されなければならないが、被告人は昭和四八年度の右申告の当否について天野統括官をはじめとする税務職員の判断を求めるため法定の帳簿書類の一切を開示し、同職員は幾日もかけてこれを閲覧し、その結果修正申告書の下書を作成交付し以って修正申告を指示したので(前記第一、一、2、(一)、(3)ないし(5))、被告人は自己の申告が是認されたものと考え、翌四九年度も同様の方法で申告に及んだものであり、このような経緯を全く無視してその犯情を重くみるのは酷である。右税務職員の態度が被告人の税務職員に対する過度の信頼を生み本件ほ脱の結果を発生せしめたともいいうるのである。
3 被告人の帳簿書類には架空売上、架空仕入など一見ほ脱犯に類型的な記載が見受けられるが、これは被告人の業界の風習から余儀なくされた経理処理であって無理からぬことでもあり、またこれらの所為によって被告人は類型的ほ脱犯人のように「資産の隠匿」をなしたものではない(前記第一、二、2、(六))。
4 また仮に被告人が堀川による帳簿書類の書き直しを容認していたとしてもそれは極く一部であり、しかも改ざんと評価する程の操作ではなく、加筆したことが一見して明らかな方法で鉛筆書きしてあり、そのうえ元帳欄外には「実」「帳」「差」などの記号で覚書をしているのであって類型的ほ脱犯とは到底いいえないこと。
5 被告人には更正、取消処分(本件の如き多額な過少申告)の前歴は勿論、ほ脱の前歴はないこと。
6 被告人は昭和四八年分および四九年分の所得税合計一億四、二七〇万二、〇〇〇円を既に完納し改悛の情が顕著であるのに、更に五、〇〇〇万円前後の延滞税、加算税の徴収が予定され、この上被告人に対し原判決宣告の三、〇〇〇万円という重い罰金刑を科することは本件所為の態様に比して重きに失するばかりか、現実の問題として被告人の事業の倒産を招来しないとも限らないのである。
右各事実に照らし被告人が仮りに有罪であるとしても被告人に罰金三、〇〇〇万円を宣告した原判決の刑の量定は著しく重きに失し不当であり到底破棄を免れないものと思料する。
以上
47.48.49年損益計算比較表
<省略>
(編者注、四八年分の所得税の修正申告書、同年分の納付書・領収証書、四九年分の所得税の修正申告書、同年分の納付書・領収証書、堀川勘次郎の死亡を証明する戸籍謄本については登載省略。)